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戦国武将!松平元康が徳川家康を名乗るまでの経緯とは?


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      2017/01/15

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「おんな城主直虎」の第7話で、瀬名の手紙に「三河のぼんやり」として紹介される、後の徳川家康。

「おんな城主直虎」では、阿部サダヲが、13歳の竹千代時代から演じます。阿部サダヲは、「家康に野心が出てきた時、彼のキャラクターはガラッと変わるはずです。そこが家康の見せ場ですね。」と語っています。

その変身を象徴するのが、改名。松平元康が徳川家康を名乗るまでには、どのような経緯があったのでしょうか?

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元服の際に今川義元から「元」の字を与えられる

松平元康は、三河の土豪である松平氏の第8代当主の嫡男として生まれます。幼名は、竹千代。竹千代は、6歳の頃、今川家に人質として出されます。

1555年、13歳で元服。松平元信を名乗ります。「元」は、今川義元に与えられたもの、「信」は、代々の松平氏の当主が用いた字の1つです。

その後、元信から元康へと名を改めます。「康」は、祖父の松平清康からとったとされています。松平清康は、若くして西三河の統一に成功した戦国武将です。

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今川義元のもとで戦国武将としての活動を開始する

松平元康の初陣は、1558年。元康が16歳の時のことです。今川氏から織田氏に寝返った鈴木重辰を攻め、寺部城下を焼き払い、その戦功によって、松平氏の旧領のうち300貫を返還されます。

また、今川義元から腰刀も贈られています。

1560年には、今川義元の尾張侵攻に従っています。この時、今川義元は、駿河、遠江、三河の兵を集め、20000の大軍を編成。敵は、5000を率いる織田信長でした。

5月、松平元康は、先鋒を任され、織田方の丸根砦を攻め落します。戦国武将として、着々と実績を積み重ねていました。

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今川義元の死をきっかけに今川からの独立を図る

松平元康が、今川方の大高城に入って休息していた時、異変が起こります。桶狭間で今川義元が討たれ、首を奪われてしまったのです。

今川方は総崩れになり、松平元康も急遽、三河にある大樹寺まで移ります。大樹寺は、松平氏の先祖が葬られている寺でした。今川義元の死に、松平元康は動揺し、自害も考えます。しかし、住職の登誉天室に諭され、松平氏の復興を志すようになります。

松平元康は、まずは本拠の岡崎城を取り戻します。岡崎城には、今川義元が置いた代官がいましたが、桶狭間の敗戦で、代官は逃亡していました。

1561年2月には、将軍・足利義輝に駿馬を献上。幕府から独立した領主として認めてもらおうと動きます。同年4月には、今川方の拠点・牛久保城を攻撃。今川からの離脱を明らかにします。

1562年には、伯父・水野信元の仲介によって、敵対していた織田信長との間に同盟を結びます。清洲同盟と呼ばれ、この後、20年の長きにわたって守られた同盟です。1563年、松平元康は徳川家康へと改めます。

「元」の字を捨てることで、今川義元との決別を宣言したことになります。戦国武将、徳川家康の誕生です。

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 - 登場人物


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