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真田丸!井上順演じる織田有楽斎とは?どんな人物で何をした人?


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「真田丸」のクライマックス、大坂の陣で、信繁たちと対立する織田有楽斎。演じるのが、井上順ということが分かりました。司会でも存在感を示す井上順。

大河出演は、2001年の「北条時宗」以来、2回目です。演じる織田有楽斎について、井上順は、「正直に言って、こういう方がいらしたんだと思いました。」と語り、自分なりに調べたと言います。どんな人物なのでしょうか?

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本能寺の変での脱出で名を知られる

織田有楽斎。「有楽斎」とは、剃髪してからの名前です。それ以前の名前は、長益。織田長益は、1547年に生まれました。父は、織田信秀。母は不詳。信秀の11男として生まれ、織田信長が13歳年上の兄になります。1551年、父の信秀が死去すると、家督を信長が継ぎます。

長益は、病弱を理由に戦いにはあまり参陣していなかったようで、初陣は不明です。記録が残るようになったのは、1572年以降。26歳の長益は、信長の嫡男・信忠の元服によって、信忠の軍に加わることになります。

信忠軍の一員として、1582年、甲斐の武田勝頼攻めに加わり、木曽勢に助力して鳥居峠の戦いを制します。この時、降伏した深志城の受け取り役を、織田長益が務めています。

織田長益の名が広く知られるようになったのは、本能寺の変の時。織田長益は、織田信忠とともに、二条御所に籠城します。信忠が自害を決意すると、長益も自害すると言って、家臣に自害の準備をさせます。

しかし、長益は、その間に脱出。近江安土を経て、岐阜へと逃れます。京の民衆は、「織田の源五は人ではないよ」と、非難したと言われています。ちなみに、「源五」は、長益の幼名です。

辛くも生き延びた長益は、信長の次男・信雄に仕え、検地奉行などで、実績を挙げます。小牧・長久手の戦いには、織田信雄軍に加わり、徳川家康に助力します。戦いの後、徳川家康と羽柴秀吉の講話の折衝役を務めます。この折衝役が、織田長益の最初の功績と言っても良いでしょう。

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大坂の陣では徳川の間諜を務めたとも

1588年には、豊臣秀吉から豊臣姓を下賜されます。淀殿は姪にあたり、淀殿の庇護者として、鶴松出産の際も立ち会い、豊臣秀吉のもとで、一定の勢力を維持します。千利休に茶道を学びだしたのも、この頃。利休十哲の一人に数えられます。

キリスト教にも関心を示し、洗礼を受けたとも言われています。

1590年、44歳で剃髪。以降、「織田有楽斎」を名乗るようになります。秀吉の死後は、徳川家康に接近。前田利家と徳川家康が対立した折は、徳川屋敷に駆けつけ、警護に当たっています。

ちなみに「真田丸」では、この辺りは、石田三成と徳川家康との対立として描かれていました。関ヶ原の戦いでは、東軍に味方し、本多忠勝の指揮下に入ります。石田家の家臣を討ち取り、戦後は、大和国内に32000石を与えられ、大名に列します。

大名になった織田有楽斎は、その後、淀殿の叔父として、豊臣家に出仕し、秀頼の補佐役を務めます。1614年、大坂冬の陣が勃発する直前、信秀の息子として生き残っていた織田信包が死去。織田有楽斎は、11男にして、最後の生き残りとなります。

大坂冬の陣では、嫡男の頼長とともに大坂城の二の丸玉造口などを守備。織田有楽斎は、穏健派の中心的存在となります。

「真田丸」では、信繁たち牢人衆との対立が描かれるはずです。大坂冬の陣の後、徳川との和睦を成立させています。一説では、織田有楽斎は、徳川方の間諜を務めていたと言われています。

大坂夏の陣を前に、再戦の機運が高まり、織田有楽斎は、徳川家康や秀忠に「誰も自分の下知を聞かず、もはや大坂城内にいても無意味」と訴え、徳川家の許可を得て、大坂城から離れます。大坂城を離れた後は、京都にて隠棲し、自ら茶道有楽流を創設します。1621年12月13日京都にて死去。享年、76。

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 - キャスト, 登場人物


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