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真田丸!史実では石田三成の最期はどうなる?


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石田三成の生涯について

sanadamaru

関ヶ原の戦い

慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原の戦いに敗れた石田三成は、再起をするため、戦場から逃れ、伊吹山中に入りました。

しかし、戦いの前日からの下痢に悩まされて、思うように逃亡出来ませんでした。

それでも何とか北近江まで逃れてきたところ、かつて三成が恩恵を施したことのある村の民に助けられ、洞窟に身を隠します。

やがて下痢も回復しましたが、東軍の執拗な落ち武者狩りの様子を聞いた三成は、これ以上逃げ切れないと考え、逃亡を諦めました。

そして、三成は逃亡から数日後に捕まったのです。

三成は、いったん家康のもとに送られた後、駄馬上にて大坂と堺を引き回しにされ、京都に護送され、六条河原で斬首と決まりました。

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石田三成は徳川家康と不仲ではなかった?意外なことが関ヶ原の戦いのきっかけ?

石田三成、最期の瞬間

六条河原に向かう途中、三成は籠の中から護送係の男にこう声をかけます。

「のどが渇いた。湯はないか。」

護送係の男は、大罪人のくせに図々しいという顔で三成を見て、「そんなものはござらぬ」と言います。しかし、自らの腰に干し柿をくるんで吊るしていたことに気づいて、それを差し出しました。

「代わりに干柿がある。これでも食され。」ところが、三成はこれを拒否します。

「柿は痰の毒じゃ。せっかくだが、遠慮する。」それを聞いて、護送係の男は三成を嘲笑します。

「なんと、これから首を斬られようというのに、痰の毒でもござるまい。」

これに対し、三成が言った言葉が、名言として残っています。

「主家に不義を働かんとする逆賊・徳川家康を討たんとしたが、志叶わず、わしは今このような目にあっている。されど、おぬしは、笑っておってよいのか?今、この場でいかような事態が起こるか、それは天のみが知ることなのだ。さればこそ、眼前に死を控えていようとも、わしは最期の瞬間まで「生」にこだわり、毒を厭う。死を恐れて申すものではない。ひとえに逆賊誅滅の志を達せんと思うがゆえである。」

護送係の男もさすがにこれには一言も言い返すことが出来ませんでした。

三成は、刑場においても少しも取り乱すことなく、坊主が「ご最期の前に十念(慣例として、斬られる前に十回念仏を唱える)を‥」と三成に言いましたが、それを拒否しました。

「念仏は無用に願おう。わしは行く末を案ずるようなことは、少しもしておらぬ。泉下(あの世)にて太閤殿下にお目通り叶うが楽しみである。」

こうして、豊臣のためを思って生きた頭脳明晰な吏僚・石田三成の生涯は幕を閉じたのでした。享年40。

→石田三成は三杯のお茶で豊臣秀吉の家臣になったのか?

 - 登場人物


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