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真田信繁の生涯・史実から真田丸の最終回予想!


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関ヶ原の戦い

秀吉の死後、豊臣政権の派閥争いが激化し、石田三成は失脚してしまいます。

そんな中、上杉景勝が会津に帰国し、家康の上洛要求を拒否します。

これに怒った家康は、上杉征伐の兵を挙げます。

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すると、上杉と呼応していた石田三成が家康を弾劾して挙兵し、関ヶ原の戦いが起こります。

信繁は、昌幸とともに石田方の西軍へ参加します。

徳川家康の忠臣である本多忠勝の娘、小松姫を正室に向かえていた信幸は東軍へ参加します。

兄弟で敵同士になってしまったのです。

昌幸と信繁は、上田城に籠城し家康の息子・秀忠が率いる大軍と奮戦します。

そして、圧倒的な兵力差にも関わらず、秀忠軍を撤退させることに成功します。

しかし、昌幸と信繁の善戦もおよばず、西軍は関ヶ原で敗北を喫します。

敗軍の将は死罪になるのが常で、石田三成は死罪となります。

しかし二人は、信之(信幸から改名)と本多忠勝のはからいで、高野山への幽閉だけで済みました。

そして、その麓の九度山で隠居生活を送ることとなりました。

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大坂冬の陣・夏の陣

慶長16年(1611)に父・昌幸が死去します。

それから3年後、徳川氏と豊臣氏の関係が悪化し戦が始まりました。

豊臣氏は浪人を集め、九度山の信繁にも召集の声がかかります。

そこで、豊臣家への恩義を感じていた信繁は参戦を決意します。

信繁は、九度山を脱出して大坂城に入ります。

やがて大坂冬の陣が始まります。

信繁たち浪人衆の野戦案が却下され、大坂城での籠城策が決定しました。

そこで信繁は、守りの手薄な城の南側に「真田丸」と呼ばれる出城を築きました。

真田の象徴とも言われる「赤色の軍」もこの頃からからです。

信繁は鉄砲隊を用いて敵兵に大打撃をあたえ、徳川勢を撤退させる活躍を見せます。

結局、大坂冬の陣は和睦によって一旦終了を迎えました。

真田丸は、堀の埋め立て工事にともない取り壊しとなりました。

そして和睦から半年後、大坂夏の陣が勃発します。

豊臣方の戦況は苦しいものとなりました。

しかし、信繁は家康の首だけに狙いを定め、真正面から家康本陣へ突撃を敢行し、死に物狂いの奮戦で活躍します。

信繁は、死を覚悟させるほど家康を追い詰めましたが、兵力で勝る徳川勢に挽回され、四天王寺近くの安居神社の境内にいるところを討ち取られました。

享年49歳でした。

信繁の死の翌日、大坂城は陥落し、豊臣秀頼や淀殿たちは自害します。

こうして信繁の奮戦むなしく、豊臣家は滅亡したのでした。

→真田丸!伊達政宗が片目になった理由!独眼竜はこうして生まれた

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