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豊臣秀吉が天下統一を叶えられた理由!流れを追ってみた!


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いくつかの要因があると思いますが、まず変えられるのは秀吉の気性です。織田信長に仕えていたとき、自分が師と仰ぐ人には純粋に忠誠心をもって仕えていました。

相手に何をすればよいかの判断が瞬時にできたから、信長の草履を懐で温めたりと、人のできない行動が出来ました。

人と同じことをしていたら、身分の低い秀吉が出世するのは難しかっただろう思います。

明智光秀は謀反を起こして身を滅ぼしましたが、秀吉は中国大返しですぐに信長の仇討ちに駆け付けました。

信長は気性が荒く残忍なところがありましたが、秀吉は信長がどうであろうと忠義を貫く姿勢は変わりませんでしたし、変なプライドを持ちませんでした。

自分が人を信用できなければ、人からも信用してもらえないでしょう。秀吉は百姓の出で、決して恵まれた環境で育ったわけではありません。

しかし、努力と忠誠心で出世できたとおもいます。

次に周りの人を大切にしたこと。

自分に子供がいなかったこともあって、子供同然に石田三成、加藤清正などを大事に育てました。だから、石田三成のような忠誠心をもった家来に恵まれました。大事にされた子供たちは親を守ろうとします。

家臣に謀反を起こされた信長とは違って、三成はどこまでも秀吉を守りました。人を大切にすると自分が守られます。

戦国時代の武将は側室を多く持つのが当たり前でしたが、秀吉は妻を大切にしたし、ときに甘えたりすることもできたのでストレスがたまりませんでした。

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→豊臣秀吉は茶々と寧どちらを愛していた?史実ではどうだったのか?

それと、秀吉には知恵と行動力があり、決断が速く迷いがありませんでした。信長の後継者を決める清洲会議で、信長の孫を推薦し重鎮をうまく取り込みました。

その後も真田、徳川、上杉などの名だたる大名に対しても、相手によって巧妙に態度を変えて自分の思うままに操ってきました。

そして、ほめ上手であったこと秀吉は、とにかくよく褒める人物であったようです。小さなことでも真剣に、しかも上から目線ではなく低姿勢で褒めたといわれています。

こうしたことから秀吉は「人たらし」と呼ばれます。「女たらし」として呼ばれる秀吉ですが、女以外も「たらし」ていたのです。

あまりに褒められるものだから、どんなに過酷に使われても嫌がられず、かえって尊敬されるのです。

もともと出自の低い身分であったことがこうした姿勢につながっているのかもしれませんが、頭の切れる秀吉のことですから、きっと考えて行動していたのでしょう。

他の家臣のように古くからの家来を持たなかった秀吉が、黒田官兵衛や竹中半兵衛など有能と知られた軍師たちを家来とすることができたのも、秀吉の「人たらし」の才能の為せる技と考えられます。

→宇喜多秀家が豊臣秀吉の養子になった理由!子孫や末裔は八丈島にいる?

 - 歴史, 登場人物


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