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真田丸!伊達政宗の性格は?独眼竜は史実ではどんな人間性だったのか?


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政宗は、幼少の頃から聡明だったようです。その聡明さを示すエピソードがあります。

政宗が5歳の頃、寺参りに訪れ、不動明王の前に立った政宗の「慈悲深い仏がなぜ、これほど恐ろしい顔をしているのか」という問いに対し、寺の僧の「この顔は悪を懲らしめるためのものであり、心の中は大変慈悲深いのです」との説明を聞くと、彼は「人の上に立つものはこうでなければならない」と言ったそうです。

しかし、疱瘡にかかったせいで右目を失い、そのコンプレックスから、内向的で人見知りの強い性格となってしまいます。側近の片倉小十郎の努力で強靭な精神の持ち主になり、非凡な性格を開花します。

成人後は、豪快さと繊細さを兼ね備えた戦国一の伊達男となり、合理主義者、気配り上手といった意外性も見せました。

その性格を示すいくつかのエピソードを紹介します。

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伊達政宗は健康マニア

政宗は自分の健康に異常なほど気を配り、侍女の脈までとった健康マニアでした。

また、政宗は、毎日、起床の後・昼どき・寝る前の3回に分けて、規則正しく煙草を吸っていたそうです。現代では、健康に悪い煙草ですが、当時の人々は煙草は薬だと考えていたのです。

政宗にも徳川家康と同じように健康オタクの面があって、喫煙は健康法として取り入れていたものだったのです。それで、几帳面に吸っていた訳です。しかし、実際はあまり効果のない健康法でした。

伊達政宗は筆マメ大名

伊達政宗の筆まめ度は武将一かもしれません。伊達政宗は手紙を書くのが好きな人でした。

大名は普通、右筆と呼ばれる口述筆記係に手紙を書かせることが多いのですが、彼は本当に筆まめで自筆の手紙が多かったようです。3,000通以上もの自筆書状が確認されているそうです。

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→真田丸!伊達政宗が片目になった理由!独眼竜はこうして生まれた

派手なパフォーマンスでの名演出家

政宗がその身なりで世の中の人を驚かせた最初のエピソードは、豊臣秀吉の北条攻めに、白装束で参陣した時のものです。

伊達家は北条と同盟関係にあったため、秀吉に従って小田原攻めに加わるか、それとも北条に加勢して豊臣勢と戦うか、その意を決するまで政宗はかなり迷ったようです。

結局最後は秀吉に従うことに決めたものの、かなり遅い決断になってしまったため秀吉の怒りを買うことは必至の状況。そこで彼は恭順の意を示すために、大軍ではなく、わずかの手勢だけを引き連れて領地を出発します。

更に小田原に到着して謁見を許された時には全身白装束に身を包み、丸腰で秀吉の前に現れるのです。「申し訳ありませんでした。お詫びに死ぬ覚悟はできております。」という訳です。

派手なパフォーマンスでしたが、幸いなことに秀吉自身もパフォーマンスが大好きで派手好きな人物。政宗のこの行動は気に入られ、遅参はお咎めなしとなりました。

もうひとつ、伊達政宗と装束に関する有名なエピソードがあります。豊臣秀吉によって京で開かれた朝鮮出兵の出陣式で、伊達の軍勢が着用していた戦装束がきらびやかだったことです。

この時の装束がすっかり評判になったため、「伊達男」=派手でおしゃれな男性という言葉の使い方が定着したと言われています。

もっとも、この装束の真の目的は、京の人々の目を驚かせることではなかったようです。政宗は朝鮮出兵に賛成ではなかったのですが、他の武将と同様、表立ってこれに反対することもできない状況と立場でした。

そこで考えたのが、派手好きの秀吉が気に入りそうな派手で美麗な戦装束を整えること。そうすることによって、あわよくば伊達の軍勢を京の留守居隊に選んでもらおうと思ったようです。

残念ながら政宗の作戦、この時には成功しませんでしたが、2回目に行われた朝鮮派兵では伊達軍はめでたく留守部隊として京に残されます。

→真田丸!伊達政宗役の長谷川朝晴は何故がっかりと思われるのか?

 - 登場人物


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