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真田丸!今井朋彦演じる大野治長は無能?茶々との関係は?


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一般に、大野治長は、豊臣家を滅亡に招いた張本人として「無能」との評価を受けています。これは、武将としての実践経験がなく、また、人の使い方も上手ではなかったからともいえます。

飛びぬけて有能であれば、大阪の陣で一発逆転の戦術をとることもできたかもしれませんが、そうでもないかぎり多少有能でも、敗戦の将は常に無能といわれるのが歴史なのかもしれません。

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大野治長は本当に無能だったのか?

しかし、相手側の徳川家康は、大野治長を高く評価していたとする記録が残されています。冬の陣の和議の成立後に治長が家康を訪れた際のことのようですが、すべてを自らの責任にして、秀頼に忠義を尽くす治長を、家康が高く評価していました。

夏の陣でも、自らの切腹を条件に秀頼母子の助命嘆願を行い、さらにそれが叶わないと知ると秀頼らと共に自害の道を選んでいますから、確かに治長の忠義は高く評価されます。

また、大阪の陣よりさかのぼり、慶長4年(1599)に起きた徳川家康暗さつ疑惑事件の首謀者として治長は罪を問われ流罪になったことがあります。

しかし、これは完全なる冤罪で、家康と本多正信が策したものでした。つまり、家康にとって治長はそうまでしても遠ざけたい存在だったのです。この事件は、家康が治長を決して軽んじてはいなかったことの現れといえます。

以上により、歴史では、大野治長の欠点がクローズアップされ、無能な武将のように描かれていますが、実際には、忠誠という点で非常に高く評価できる人物だったと考えられます。

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→豊臣秀吉は茶々と寧どちらを愛していた?史実ではどうだったのか?

大野治長と茶々との関係は?

大野治長は、大蔵卿局の長子として生まれ、茶々も同じ年に生まれました。2人は同い年であり、大蔵卿局は茶々の乳母だったので、乳母兄弟でした。大野治長、茶々と大蔵卿局の三人は、その後の運命を共にしました。

その後、茶々は秀吉の側室となります。

しかし、多感な20代の気心の知れた幼馴染の大野治長と茶々が一緒にいれば、恋愛の感情が芽生えても何ら不思議なことはありません。実際に毛利家の資料には、「秀吉がなくなって1年後くらいに淀君(茶々)と大野治長の密通が発覚して騒ぎになった」との記録があるそうです。

また、茶々としては、権勢を誇るには秀吉の子供が必要でしたが、秀吉の子供は生まれそうにありませんでしたから、大蔵卿局の協力のもと、大野治長と密会を重ねて妊娠したとも考えられます。

また、大野治長が茶々の子、秀頼の父親だと言われる理由があります。それは、秀頼の身長です。

秀吉の身長は推定140cm、これに対して秀頼の身長は197cmもあったと言われます。茶々が割りと大きくてガッチリとした体格だったということもありますが、あまりに不自然です。その一方で、大野治長の身長は高い方であったと伝わっています。

これらより大野治長と茶々との関係についての噂は、あながち嘘とは言えないと考えます。

→大野治長が無能と言われるのはどうしてか?関ヶ原の戦いの時や大坂の陣ではどうしていたのか?

 - 登場人物


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