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宇喜多秀家が豊臣秀吉の養子になった理由!子孫や末裔は八丈島にいる?


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宇喜多秀家は8歳のときに、秀吉の養子に迎えられました。秀家はおとなしい性格で美少年だったといわれます。

後に信長への目通りの際に、信長も「備前から来たあの子、涼しげである。格別大事にしてやれ。」といわれたそうです。

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宇喜多秀家が豊臣秀吉の養子になった理由

秀吉は徳川家や島津家に比べると、子飼の武将の少なさをとても気にしていました。その上、秀吉はなかなか子宝に恵まれません。そのために、主従の絆を強くしたいという思いも強かったのでしょう。

前田利家の娘でのちに、秀吉の正室になる豪姫もそうでした。秀勝、秀次、加藤清正、福島正則たちも我が子同然に扱いました。

このことから、秀家も養子に迎えられ、大事に扱われたと思われます。秀吉の時代には人質が養子になることは特に珍しいことではありませんでした。

上杉景虎、蘆名盛隆等もそうでした。

しかし、秀頼が生まれてからの秀吉は一変していくのでした。さらに秀吉は、身分の低い百姓からの成り上がりというコンプレックスを持っていて
そのころの自分を知られたくなかったと思われます。

その意味で、以前の自分を知らず、むしろ最初から主従の関係にある子飼大名を1人でも多く欲しかったのだと思われます。

宇喜田家は備前を押さえて毛利家を牽制するだけの充分な国力と家臣団を擁しており、秀家を養子にして秀吉が取り込むには理想的だったと思われます。

秀家は幼くして家督を継いだので秀吉が後見人となりました。その意味では、秀吉の存在は秀家にとって「第二の父」だったでしょう。

宇喜多家が秀吉と接触したのは、秀吉が織田家でかなりの地位を築いてからで、家中のなかに秀吉の若い頃を実際に見ていた者はいなかったと思われます。

秀家の母おふくは、父である直家の後妻で見目麗しい女性で、美人好みの秀吉が言い寄ったのも不思議ではありません。

自分は秀家の父代わりであるということを利用したのかもしれません。

秀家がなぜこのような厚遇を受けたかについては、かか様のおかげだという噂話が逸話で残されています。

おふくは直家の死後、仏門に入った後も何度か秀吉を訪問しています。秀吉にとっては、おふくは魅力ある女性だったのでしょう。

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→真田丸!高橋和也演じる宇喜多秀家はどのような武将だったのか?

宇喜多秀家の子孫や末裔は八丈島にいる?

確かに宇喜多秀家の子孫、末裔は八丈島にいました。関ケ原の戦いで敗れた宇喜多秀家は八丈島に配流となりました。

その後、家康の死後に流刑は、恩赦により解かれます。島を出た者もいますが、秀家と長男、次男は島に留まり、子孫が八丈島で血脈を伝えています。

また、明治以後、宇喜多一族は東京に移住しましたが、数年後には子孫が八丈島に戻り、現在も墓を守り続けています。

そして、秀家が釣りをしていたといわれると伝わる八丈島・大賀郷の南原海岸には、西にあたる備前国、現在の岡山の方角を向く場所に、秀家と江姫の石像が建てられています。

→松本幸四郎演じる呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)とは?伝説の商人とはどんな人物?

 - 歴史, 登場人物


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