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真田丸!高橋和也演じる宇喜多秀家はどのような武将だったのか?


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高橋和也さんが演じる宇喜多秀家は、豊臣政権における五大老の一人で秀吉の死後、反家康を掲げて挙兵します。

関ケ原の戦いでは、副大将として奮戦しますが、小早川秀秋に裏切られ、敗れてしまいます。

Military commander

秀吉からの厚遇

父・宇喜多直家は尼子経久、毛利元就と並び中国地方三大謀将の一人に数えられています。

宇喜多秀家は、元亀3年(1572年)備前国主の宇喜多直家の次男として生まれました。

父の病による死後、9歳で家督を相続し、翌年、毛利征伐のため出陣してきた秀吉に気に入られ、養子として厚遇されます。

その後、秀吉の天下取りの戦いに参加し、多くの戦功をあげ、天下統一がなされた後には、備前国を中心に57万4千石を治める大大名となりました。

正室には前田利家の娘で秀吉の養女となった豪姫を迎えています。
文禄の役では、元帥を務め、戦後、その恩賞として中納言に昇進しています。

さらに、徳川家康、前田利家らとともに豊臣政権の最高機関である五大老に任じられ、名実ともに豊臣政権の実力者として名を連ねました。

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岡山城の築城

文禄の役から五大老へ就任するまでの間に、自らの勢力に見合う居城の築城に着手します。

秀吉の指導を受け、「岡山」に本丸を構えることにしたと同時に、城下町の建設にも着手しました。

商工業者を城下に集め、岡山発展の基礎を築いた人物といわれています。

天守閣の落成は慶長2年(1597)。

岡山城は豊臣秀吉の大坂城、毛利輝元の広島城とともに大型近世城郭の先駆をなし、当時としては全国級の大型建造物となりました。

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関ケ原の戦い

秀吉の没後、後を追うように息子の豊臣秀頼の後見役だった前田利家が死去しました。

すると、豊臣家内で武断派の加藤清正・福島正則らと、文治派の石田三成・小西行長らとの派閥抗争が表面化しました。

これに乗じた五大老の徳川家康が、豊臣家における影響力を強めることとなります。

そして清正ら武闘派7将による石田三成襲撃事件が勃発した際には、秀家は佐竹義宣とともに三成を救出しました。

家康が上杉景勝討伐のため出兵している機を見計らい、石田三成は毛利輝元を盟主に担ぎ、打倒家康のために挙兵しました。

秀家は西軍の副大将として石田三成、大谷吉継らとともに家康断罪の檄文を発し、西軍の主力となります。

伏見城攻撃では総大将として参加しました。

関ヶ原の戦いにおいても家康本隊を除けば、第2位の兵力である1万7,000人で、西軍の中では最大といわれています。

主力として積極的に戦い、東軍の福島正則隊と激戦を繰り広げましたが、同じ豊臣一門である小早川秀秋の裏切りにより総崩れとなり、宇喜多隊は壊滅したのです。

小早川隊の裏切りに激怒した秀家は、「松尾山に乗り込み金吾を叩き斬ってやる」と叫びましたが、家臣の明石全登に制止され、やむなく落ち延びていきました。

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八丈島配流

関ケ原の戦いでの敗戦した宇喜多秀家は薩摩の島津家へ逃れます。

その3年後、幕府に出頭し、死罪を免れますが二人の子息、近侍とともに八丈島へ配流されました。秀家は八丈島で約50年生き延びて83歳で没しました。

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 - 登場人物


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