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真田丸!本多忠勝と本多正信の関係性は?


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大河ドラマ『真田丸』で、真田昌幸や信繁にとって、なんとも疎ましい存在として描かれる徳川家康。家康が登場するシーンでは、必ずと言って良いほど、側にあって家康を支える姿が描かれるのが、本多忠勝と本多正信です。

同じく本多姓であることから、「どのような関係なのか?」との疑問が生じやすい2人。関係性は、どうなっているのでしょうか?

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宗家は忠勝の家系?それとも正信の家系⁉︎

忠勝と正信は、いずれも、本多氏。本多氏は、古くから松平氏に仕えた、三河の譜代の家系です。安祥七譜代の一つに挙げられています。

本多氏は、江戸時代には、13の大名が存在し、旗本に至っては、45に及んだとされます。本多氏は、葵紋を使用することが認められていました。葵紋は、徳川宗家と分家が用いた紋です。徳川宗家と分家以外で、葵紋の使用が許されたのは、本多氏のみ。本多氏が、徳川家にとって、特別な譜代だったことが分かります。

本多氏の宗家については、2通りの説があります。忠勝の家系を宗家とする説と正信の家系を宗家とする説です。通説は、忠勝の家系を宗家としています。

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武で主君を支えた忠勝、知で主君を支えた正信

宗家説が一般的な忠勝の家系。本多忠勝は、本多正信について、「同じ本多一族ではあっても、本多正信とはまったく無関係である」と言い放っています。血脈があることは認めつつ、正信を一族から排除したいという思いが表れた言葉です。

忠勝が正信を本多一族から排除したいと思ったのは、主君である家康への仕え方が、典型的な三河武士である忠勝には、理解が困難なものだったからでしょう。三河武士は、武勇や忠を重んじる風習がありました。忠勝は、蜻蛉切という槍を用い、鹿角の兜をかぶり、57回の戦いに臨んだとされます。かすり傷一つ負わず、幾多の手柄をあげ、敵からは「徳川に過ぎたるものあり、鹿の頭に本多平八」と称えられています。

正信には、戦場での目覚ましい活躍は無かったようです。忠勝は、正信のことを「腰抜け」と評しています。正信が本領を発揮したのは、政治力でした。豊臣秀吉亡き後の謀略の陰には、本多正信ありというくらい、正信は、家康側近の参謀役として重用されるようになっていきます。

家康は、正信とともに江戸幕府の基盤を固めます。そして、その帝王学を継承させるため、正信を秀忠につけています。家康が戦場に出ることが減るにつれ、忠勝は徳川家の中枢から離れていきます。本多忠勝と本多正信。2人は、主君・徳川家康の天下統一の歩みを反映する形で、歴史に名を遺しています。

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 - 登場人物


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