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千利休の切腹の謎!介錯人や最後の場所について!


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晩年の秀吉が人が変わったと噂される出来事の一つに、千利休に切腹を命じたことが、あげられます。千利休が秀吉に切腹を命じられたのは、天正19年(1591年)のこと。秀吉との関係に齟齬が生じ、その齟齬が修復不可能になったための出来事ですが、直接のきっかけは、謎に包まれています。

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『軍師官兵衛』での解釈

『真田丸』以前に、ほぼ同じ時代を描いた大河ドラマが、『軍師官兵衛』です。『軍師官兵衛』では、三つの出来事が重なり、賜死に達したというストーリーを採用していました。

その三つの出来事とは、朝鮮出兵を行うことに利休が異議を唱えたこと、石田三成が利休に関して告げ口をしたこと、利休が許しを請うことを拒んだことです。

利休は、朝鮮出兵を進めようとする秀吉に、大坂城の茶室で、無理な戦をすれば、人心が離れていくと言います。自分に意見する利休に、秀吉は不快の念を募らせます。

そうした秀吉の心中を察した三成が、利休にまつわるよもやま話を秀吉に伝えます。

安価な茶器を高額で売りつけて暴利を貪っていること、大徳寺三門改修にあたり、自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置したこと、そのため、その下を秀吉が通ると、秀吉の頭を踏み受ける形になることなどを、秀吉の耳に入れます。

耳にした話に怒った秀吉は、利休に堺で蟄居するように命じます。この時、秀吉は、利休が許しを請えば、死を賜るつもりはなかったとも言われています。

蟄居を命じられた利休の元に、おねからの使者が来て、秀吉に許しを請うように言います。しかし、利休は、一切の弁明を拒みます。そのため、秀吉も頑なになり、切腹を命じた。これが、『軍師官兵衛』が採用したストーリーでした。

秀吉は、千利休の首を一条戻橋で晒す際、大徳寺三門上の木像に踏ませる形にしています。そのことから、大徳寺三門の木像の件は、利休が切腹を命じられた原因として、しばしば取り上げられています。

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→秀吉はなぜ千利休に切腹を命じたのか?大河ドラマでかつて採用された説は?

切腹の謎と介錯人や最後の場所について

利休が切腹を命じられるに至った真相は、はっきりしていません。謎に包まれた切腹の原因。他の説で有力なものは、3つ。

茶道に関する考え方で対立が深刻なものになったとする説。秀吉が、利休の娘を側室にと望んだ時、利休が拒否したのが、秀吉の怒りを買ったとする説。利休が徳川家康と密かに通じ、秀吉を毒を使って命を奪おうとしようとしたためとする説です。

諸々の事情が絡み合い、些細なことをきっかけに、利休と秀吉の対立は、元に戻ることのできない深刻なものになったのでしょう。それだけに、後世の人間には謎めいて見えてきます。

利休の弟子たちは、利休のために奔走しますが、助命は適わず、利休は、京都に呼び戻され、聚楽屋敷で切腹を命じられます。介錯人を務めたのは、弟子であった蒔田淡路守だったとされています。ただし、アニメの中には、高弟の古田織部を介錯人として描いているものもあります。

この時、利休の弟子の大名たちが、利休を奪い返すのを恐れ、秀吉は、上杉景勝に命じて、聚楽屋敷の周囲を取り囲ませたと言います。利休は、切腹を命じに来た秀吉の使者に対して、「お茶の支度ができております。」と応じ、少しも動じなかったとされています。

→秀吉と茶々の関係は?年齢差があるのに側室になった理由とは?

 - 登場人物


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