大河ドラマネタバレ考案速報

大河ドラマのネタバレ感想サイト!

*

石田三成は三杯のお茶で豊臣秀吉の家臣になったのか?


《注目記事》U-NEXTで真田丸が無料で見逃し配信中!

   

スポンサーリンク

2016年の大河ドラマ『真田丸』では、山本耕史が演じることになった石田三成。役が決まった時、山本耕史は、「この時代は、人間愛と、上下関係や国との関係といった“立場”が大事。その空気をうまく出せたらいいですね。」とコメントを寄せています。立場に応じた気配り。石田三成にまつわる気配りの逸話として有名なのが、三献の茶です。

ishidamitsunari

温度と量を変えて出した三杯のお茶

三献の茶は、石田三成が豊臣秀吉にどのようにして見出されたのかということを物語る逸話です。滋賀県の長浜駅前には、三献の茶にちなんだ像が、三成と秀吉の出会いの像として設置されています。

長浜城主となった秀吉は、領内で鷹狩りをした帰途、喉の渇きを覚えて、ある寺に立ち寄ります。秀吉から茶を所望された小姓は、大ぶりの茶碗にぬるめのお茶を多めに入れて出しました。喉が渇いていた秀吉は、一気にお茶を飲み干します。「小気味よし!さらに一服所望じゃ」と言う秀吉。

寺の小姓は、次には、やや熱めにしたお茶をやや小ぶりの茶碗に入れて出しました。一杯目と異なる出し方に興味を抱いた秀吉は、もう一杯、お茶を所望します。小姓は、小ぶりの高価な茶碗に熱く点てたお茶をほんの少し入れて出しました。

喉が渇いている相手には、飲みやすいぬるめのお茶をたっぷりと出し、渇きが癒えるにつれて、お茶、茶碗と味わってもらおうとする心配りでした。その心配りに感心した秀吉は、小姓を城に連れ帰り、家臣としたと言います。この小姓が、後に五奉行の一人となった石田三成だというのが、三献の茶です。

スポンサーリンク

→石田三成は徳川家康と不仲ではなかった?意外なことが関ヶ原の戦いのきっかけ?

後世の創作か実話か?

三献の茶は、『武将感状記』を始めとした江戸時代の文献に記され、広く知られるようになった逸話です。ただし、この逸話は、後世の創作とする見方もあります。理由は2つ。逸話が記されている文献が、いずれも江戸時代の俗書の類だということ。もう一つは、三成の息子が記した文献の記載と合致しないということです。三成の息子が記したのは、『霊牌日鑑』。そこには、三成が秀吉に18歳で仕えだしたのは、姫路だったとされています。

秀吉が鷹狩りの帰途に立ち寄った寺については、諸説ありますが、有名なのは、大原の観音寺です。観音寺には、「三成茶汲みの井戸」もあります。『霊牌日鑑』の内容と逸話は、食いちがうため、逸話は、後世の創作だろうとする見方もあります。

後世の創作の可能性に言及しつつも、「こうしたエピソードが、意外と事実を伝えている」とするのが、小和田哲男氏です。小和田氏は、『石田三成 「知の参謀」の実像』(PHP研究所・1997年)の中で、三成が秀吉に出会ったのは観音寺。時は、天正2年。秀吉39歳、三成15歳の時のことだろうとしています。観音寺周辺は、当時、政所茶の産地であり、秀吉が政所茶を好んでいたことから、逸話は実話であったと、小和田氏は述べています。

→真田信繁と石田三成は親戚だった⁉︎山手殿の出自に謎!

 - 登場人物


スポンサーリンク



《注目記事》U-NEXTで真田丸全話見逃し配信!無料で動画を視聴するのはコチラ!

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事