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星野源演じる徳川秀忠!為政者として能力を発揮した二代目の性格は?


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2016年大河ドラマ『真田丸』。武田勝頼、真田信幸など、父の背中に追いつこうとして苦悩する息子の姿を描いています。偉大な父を持ったことで、自分の生きる道を苦労して探すことになる二代目の一人、徳川秀忠。星野源が演じることが発表されました。武将としては、むしろ低い評価しか与えられない秀忠。しかし、凡庸な人間ではなかったことを、乱世の終わった時に示しています。

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父に叱責されながらも汚名を返上しようとする

征夷大将軍に任じられた徳川家康は、1603年に秀忠を右近衛大将とします。右近衛大将とは、次期将軍候補です。この時、徳川家による将軍家の世襲という方向性が、決定づけられました。2年後の1605年には、家康は、将軍職を秀忠に譲ります。秀忠は、東国の諸大名16万の軍を率いて上洛。伏見城で宣下を得て徳川幕府の第二代将軍となります。

隠居した家康は、駿府城に移りますが、大御所として実権を握り、主に外様大名との接渉を行いました。秀忠は、本多正信らの補佐を受け、家康の意を汲んだ政治を行い、家康との間の二元政治体制になります。秀忠が主に担当したのは、徳川家直轄領および譜代大名の統括でした。

秀忠は、家康の言を忠実に守り、そのことは、徳川家の史書にも記されています。ただし、秀忠が父・家康の叱責を受けながら、命に従わなかったことがあります。大坂の陣に参戦する時のことです。総大将として出陣した秀忠は、江戸から伏見まで17日間で到着するという強行軍を行います。そのことを知った家康は、兵たちが疲労困憊して戦場で使い物にならないと怒り、徐行するように命じます。しかし、秀忠は、家康の命令を無視して強行軍を続け、家康が激怒したと言われています。

秀忠は、関ヶ原の戦いにあたり、上田城攻めに8日を費やしつつも、落城させることができず、本戦に遅参するという失態を演じています。この件で武将として汚名がついたことを気にし、大坂の陣では名誉挽回を図ったものと考えられています。

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→星野源演じる徳川秀忠と江の夫婦仲は?子供はどうだったのか?

家康亡き後、為政者として本領を発揮する

家康は、死期を悟った時、秀忠に「この後、天下はどうなると思うか?」と問い、秀忠の「乱れます」との答えに、「それさえ分かっていれば良い」と安堵したと言います。

家康の死後、秀忠は、将軍親政を開始します。酒井忠世、土井利勝らを老中とし、幕府の中枢を自身の側近で固め、次々と政策を打ち出していきます。外様23家と親藩・譜代16家を改易。義直、頼宣、頼房の3人の弟を尾張、紀伊、水戸に配置。自身の子・忠長には駿河、遠江、甲斐を与えます。朝廷に対しても、厳しい引き締めを行う一方、娘の和子を御水尾天皇に入内させ、関係の強化を図ります。鎖国政策としては、オランダ船の寄港を平戸と長崎に限定させています。

守成の時代に本領を発揮した秀忠。作家の海音寺潮五郎は、「家康は自分で全て決めた。秀忠は、それには及ばなかったが、半分は自分で決めた。家光は全て重臣任せであった。」と評しています。

→豊臣秀長と徳川家康の関係は?正室(慶)と子供について

 - キャスト, 登場人物


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