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豊臣秀頼が淀殿と大野治長の子供と言われる所以は?


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2016年の大河ドラマ『真田丸』では、現役高校生の中川大志が演じることが決定している豊臣秀頼。豊臣秀吉と側室・淀殿の間に生まれた子供とされていますが、当時から、実父は秀吉ではあるまいと噂されていました。淀殿と関係を持ったと見なされる人物は、諸説ありますが、中でも有名なのが、大野治長です。

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秀吉の子を産んだのは淀殿のみ

秀吉は、正室の他に側室を16人持ったとされています。しかし、子供を産んだのは、側室の淀殿だけでした。淀殿が側室になったのは、秀吉の晩年。秀頼が生まれたのは、57歳の時のことです。

秀吉が子宝に恵まれなかったこと、晩年に迎えた側室にだけ子供ができたこと、しかも、秀頼を妊娠したはずの頃、淀殿と閨を共にできる状態に秀吉がなかったと見られることなどから、秀頼は、淀殿が他の男と関係を持って身ごもったとの見方が、早くからなされてきました。

淀殿の懐妊が分かった後、秀吉は淀殿の側近く仕えていた女房を粛清しています。そのため、不義が行われたとの見方を裏付ける結果となっています。その際、粛清された者は、女房だけにとどまらず、陰陽師もいたことから、不義の相手を陰陽師とする説もあります。

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→豊臣秀頼は誰の子なのか?祈祷によって授かったのか?

数々の文献に名前が出される大野治長

陰陽師との関わりは、近代になって非常に有力視されました。ただし、当時から噂されていたのは、陰陽師ではありません。大野治長です。治長の生母は、大蔵卿局。淀殿に親しく仕えて権勢を振るった女性です。治長と淀殿は乳兄弟に当たり、大蔵卿局を介して、二人はたびたび会う機会があったものと考えられています。

秀吉が亡くなった慶長4年(1599年)、10月1日付で内藤元家宛に内藤隆春が認めた書状の中に、大野治長が淀殿と密通しているらしいとの噂が書き留められています。同様の噂は、興福寺の『多聞院日記』にも記され、淀殿と密通した治長は、命を取られるべきところ、高野山に逃げたらしいと書かれています。

このため、江戸時代の随筆『明良洪範』には、「秀吉公ノ実子ニアラズ大野修理ト密通シ捨君ト秀頼君ヲ生セ給フト」と記されるに至ります。また、『明良洪範』は、秀頼を身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg)という並外れた巨漢だったことを伝えています。

秀吉の子と考えた時、あまりにも巨漢であることも、当時の人たちにとって違和感があり、淀殿の密通説を強めたものと思われます。ちなみに、後陽成天皇が御水尾天皇に譲位した際、秀頼は、「千姫の祖父に挨拶する」との名目で上洛し、二条城にて徳川家康と会見しています。秀頼の巨漢から発せられるカリスマ性におののいた家康が、豊臣家打倒を決意したとの逸話もあります。

→大野治長が無能と言われるのはどうしてか?関ヶ原の戦いの時や大坂の陣ではどうしていたのか?

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