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大坂夏の陣で真田信繁が赤備えを用いたのはなぜ?赤備えに込められた意味とは?


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大河ドラマ『真田丸』では、毎回オープニングの最後に登場する赤備え。赤色の武具を身につけた騎馬隊が、真一文字に敵陣に突っ込んでいく姿が印象的です。真田信繁が勇名を馳せた大坂夏の陣の光景です。赤備えにはどのような意味が込められているのでしょうか?

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精鋭部隊との印象を植え付けた武田の赤備え

具足や旗指物など、あらゆる武具を朱色に塗った部隊編成が、赤備えです。戦国時代、赤は、高級品である辰砂で出されていました。また、戦場で特に目立つ色だったことから、朱色は、侍の中でも、多くの首を上げた者にのみ、大名から恩賞として賜るものとされていました。

戦国時代には、黒、黄色など、色ごとに部隊を統一する色備えがありました。赤備えは、そうした色備えの一種ですが、他の色備えとは異なるイメージを持つようになります。

それは、最初に赤備えを率いた武将が強く、その武将に率いられた部隊が精鋭部隊だったためです。最初に赤備えを率いたのは、甲斐武田氏に仕えた飯富虎昌でした。後に「甲山の猛虎」と謳われた猛将です。虎昌は、各武将の次男たちを集め、朱色で統一した赤備えの部隊を組織化しました。次男は、領地を父から譲られず、自らの槍働きで稼ぐしかない時代でした。

そうした次男たちを組織化した武田の赤備えは、精鋭部隊として活躍。いわば、切り込み隊として、諸々の戦で武功を挙げました。武田の赤備えがあまりに強かったため、赤備えは精鋭部隊という印象が、諸大名の間で定着したとされます。

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→真田信繁の姉・木村佳乃演じる松の今後の運命は?

家康の本陣を突き崩した真田の赤備え

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣。冬の陣の後、豊臣方が守らされた和睦の条件は、外郭と外堀を埋めて大坂城を本丸だけにするというものでした。敗者に突きつけられるような条件を呑んでの和睦。この事実を知った時、信繁は、豊臣家の滅亡を確信したとされています。

大坂城に入城した時から、信繁の真意は、恩賞でもなく、家名回復でもなく、徳川家康に一泡吹かせて真田の武名を天下に示すことだったと言われています。冬の陣を通して知った豊臣方の内情は、さらに信繁の失望を深めました。ろくに戦場に出たことも無いものばかりの評議。和睦に持ち込んだものの、敗色をさらに濃厚にする条件。

信繁が率いた兵たちは、傭兵でした。真田家に古くから仕えていたものたちではなく、精鋭部隊とも言えるものたちではありませんでした。あえて赤備えで編成したのは、武士としての矜持を自ら確認し、兵たちに朱色を与えることで士気を高めようとしたと考えられています。また、武田の赤備え以降定着した、赤備えは精鋭部隊の証というイメージによって、対峙する敵に心理的な圧迫を与える効果もあったものと思われます。

武田家由来の赤備えで編成された信繁の部隊は、天王寺口の戦いで、家康の本陣を突き崩しています。島津家の『薩摩旧記』には、「真田日本一の兵 古よりの物語にもこれなき由」と賞賛されています。

→真田信繁が最後に子供達を託したのは意外なあの人だった!

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