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真田丸!大谷吉継が患っていた病気とは?


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真田信繁が28歳の頃に、その娘を正室として迎え、姻族となった大谷吉継。『真田丸』では、片岡愛之助が演じることになっています。従来の時代劇では、白い頭巾を被って登場する吉継。吉継に因んだ敦賀市公認のキャラクター「よっしー」も、白い頭巾姿です。すっかり定着した白い頭巾は、病気で崩れた顔を隠すための物だというのが、定説です。吉継は、どのような病気に罹っていたとされているのでしょうか?

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有力なハンセン病説

最も有力なのは、ハンセン病だったとする説です。ハンセン病の歴史は古く、奈良時代から文献に記されています。仏教との関わりで「業病」と呼ばれ、前世の罪の因果によって発症すると考えられていました。

現在は、治療法が確立し、感染症の中では、最も感染力の弱い病気とされていますが、以前は、原因不明の感染症として人々に恐れられてきました。

ハンセン病の原因は、癩菌です。癩菌は、熱に非常に弱いことから、初期症状は最も体温の低い皮膚に現れやすいとされています。最初の症状は、白や赤褐色の斑紋が出ます。その後、腫れもののようなものが出始め、進行すると、顔や手足などの末梢神経が冒され、転倒しやすくなります。転倒の際にできた傷が化膿して悪臭を放つようになります。

吉継がハンセン病にかかっていたという記録や、崩れた顔を白い布で覆っていたという描写は、実は、江戸時代の中期頃までは、存在していません。ただし、目を患って花押の代わりに印判を使用したことや、関ヶ原の戦いで足腰の弱りから輿に乗って指揮を取ったという話は、記録に留められています。そのようなことから、ハンセン病説が出たと考えられています。

病気を発症した時期については、諸説ありますが、吉継が書状でよく使用していた「白頭」という号を白い頭巾と関係づけるとするなら、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの頃には、発症していたと見ることができます。この頃、吉継は、20歳代半ばでした。

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→大谷吉継の病とは?娘・竹林院について

千人斬りと茶会での石田三成の逸話

吉継の病気の発症を天正11年頃と考えると、納得のいく逸話が2つあります。天正13年(1585年)の千人斬りの逸話と、天正15年(1587年)の大坂城での茶会の逸話です。

天正13年正月、大阪で千人斬りと呼ばれる辻斬り騒動が起こりました。この時、犯人と噂されたのが、吉継でした。吉継が皮膚病を癒すために、血を求めているのだという噂が、まことしやかに流されました。この噂は、秀吉の耳にも入りましたが、秀吉は噂を全く信じず、その後も吉継を重用しました。

さらに有名なのが、天正15年に大坂城で開かれた茶会での逸話です。茶会に招かれた豊臣の諸将は、茶碗に入った茶を一口ずつ飲んで次の者に回していきました。吉継が口をつけた後は、皆、茶を飲むのをためらい、飲むふりをして次に回していきました。病気の感染を恐れたのです。

この時、平然と口をつけ、常と変わらずに吉継に声を掛けたのが、石田三成だったと言います。のみならず、三成は、吉継の顔から落ちた膿を飲み干し、「美味しかったので、全部飲んでしまいました。もう一杯茶を注いでいただきたい」と言ったとも言われています。

この出来事に心を強く動かされた吉継は、三成と一層結びつきを強めていったとされています。関ヶ原の戦いで挙兵を三成から持ちかけられた時、吉継が無謀さを指摘しながらも三成方に加わったのは、この時の出来事が関わっているとの見方もなされています。

→真田信繁の正室・竹林院に松岡茉優!竹林院とはどのような人物なのか?

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