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哀川翔演じる後藤又右衛門(後藤基次)の生涯とは?


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      2016/03/18

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大河ドラマ『真田丸』。大坂の陣で活躍する武将のキャストが、発表されました。豊臣家の呼びかけに応じて大坂城入りした浪人のうち、真田信繁とともに奮戦したのが、後藤又右衛門です。『真田丸』では、哀川翔が演じることになりました。後藤又右衛門とは、どのような生涯を送った武将なのでしょうか?なぜ、大坂城入りすることになったのか?大坂の陣では、どのような最期を迎えたのか?その生涯を振り返ってみましょう。

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朝鮮で先鋒として活躍し、大隈城主にまでなる

後藤又右衛門が生まれたのは、1560年。三木城主・別所長治の家臣・後藤基国の次男として生まれます。母は、神吉頼氏の娘です。父の基国は、又右衛門が8歳くらいの時に病死し、その後、又右衛門は、黒田家で養育されます。伯父の藤岡九兵衛が黒田官兵衛に仕えていたためとされます。黒田官兵衛が有岡城に幽閉されると、伯父たちが裏切ったため、又右衛門は黒田家から追放されます。

その後は、羽柴秀吉の家臣・仙谷久秀に仕えます。初陣は、1583年の高松城攻めとされています。1586年に戸次川の戦いで仙谷久秀が島津家久に大敗した後は、黒田長政に帰還を許されて黒田家に戻りますが、黒田官兵衛が長政に「反逆者の一族なので、近くに召し抱えてはいけない」と命じ、又右衛門は、家臣の栗山善助に預けられます。

又右衛門は、豊前一揆、朝鮮出兵、関ヶ原の戦いなどで、次々と武功を立て、黒田家の有力な先鋒武将の一人として頭角を現していきます。特に朝鮮では、黒田一成、母里太兵衛とともに、又右衛門は毎日交代で先鋒を務めたとされています。

関ヶ原の戦いでは、黒田長政に従って戦います。その際、石田三成の家臣で、槍の遣い手として名高い大橋掃部を一騎打ちの挙句破ります。長政が福岡藩に入ると、又右衛門は大隈城主となり、1万6000石を拝領して隠岐守を名乗りました。

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→大谷吉継の病とは?娘・竹林院について

黒田長政と不仲になり、再仕官の妨害を受ける

黒田官兵衛が亡くなると、又右衛門の人生には暗雲が立ち込めるようになります。主君の黒田長政と不仲になり、黒田家から出奔します。1606年のことです。そして、接近を図ったのが、当時、黒田家と犬猿の仲であった細川忠興でした。

細川忠興は、又右衛門を5000石の客分で召し抱えようとし、黒田長政は、又右衛門を引き渡すように細川忠興に抗議。黒田家と細川家の抗争に発展し、江戸幕府が仲介に入る騒ぎとなりました。騒ぎが起こり、又右衛門はすぐに細川忠興の元を離れ、浪人となって、伯父の藤岡九兵衛が住職をしていた伊予の長泉寺に身を寄せます。

その間、諸大名から仕官の話が持ち上がりましたが、黒田長政は、諸大名に召し抱えを禁ずる奉公構という手段を講じて、又右衛門の再仕官の道を徹底的に妨害しました。幕府が苦慮して、半年間にわたって黒田長政と後藤又右衛門の調停を試みたこともありますが、ついに調停は成功しませんでした。

徳川家康の大坂城攻めが現実味を帯びてきた1614年。豊臣秀頼の家臣・大野治長の招きを受けて、又右衛門は大坂城に入城します。家康は、播磨国を与えるから味方になるように打診しましたが、又右衛門は「豊臣の恩を忘れて心変わりするのは、武士道に反する」と断ったとされます。

大坂冬の陣では、木村重成と協力して長尾軍や佐竹軍と対峙。1615年5月6日、真田信繁とともに大坂城から撃って出る決意を固めて、道明寺の近くに陣取ります。孤軍で8時間ほど奮戦。合流するはずだった真田信繁らの軍が濃霧に阻まれて到着が遅れ、伊達政宗の家臣・片倉重長の率いる鉄砲隊に銃撃され、胸を撃ち抜かれます。吉村武右衛門の介錯を受けて果てます。享年、56歳。

→真田信繁と黒田官兵衛はどちらが優秀な武将なのか?

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