大河ドラマネタバレ考案速報

大河ドラマのネタバレ感想サイト!

*

大谷吉継の病とは?娘・竹林院について


《注目記事》U-NEXTで真田丸が無料で見逃し配信中!

   

スポンサーリンク

2016年の大河ドラマ『真田丸』では、第14回に信繁は、豊臣秀吉と思いがけない形で出会うことになります。その後、信繁は、真田家のために秀吉の元に人質として出仕することになります。信繁を気に入った秀吉は、豊臣家の重臣・大谷吉継の娘を信繁に娶せます。『真田丸』では、春という名前で登場する女性です。信繁の舅となる大谷吉継は、ドラマでは特徴的な白い頭巾を被って登場することが多い人物。頭巾は、病んだ顔を隠すためと、もっぱら言われています。

ootaniyoshitsuna

大谷吉継の病は何だったのか?

豊臣秀吉に、「100万の軍勢を預けて指揮させてみたい」と言わしめたとされる大谷吉継。策略を得意とする知将として知られています。関ヶ原の戦いでは、西軍として戦います。日和見が多かった西軍にあって、吉継の軍はよく戦いました。

吉継自身は、徳川家康とも親しかったとされ、当初は、家康派だったと見られています。家康も吉継の才能を高く評価し、関ヶ原の戦いに先立つ会津征伐が終わり次第、12万石に加増することを約束していたと言われています。そのため、吉継が西軍に与したことを知って、家康は狼狽したとされています。

関ヶ原の戦いでは、吉継は病のため輿に乗って軍を指揮したと言われています。その病は、通説では、らい病とされています。当時の仏教観では、前世の罪業に起因する病として忌み嫌われていたのが、らい病です。らい病は、現在のハンセン病と考えられていますが、梅毒とする説もあります。病のために崩れた顔を隠すために、晩年は白い頭巾を被っていたとされています。

ただし、白い布で顔を覆っていたという逸話は、実は、江戸時代の中期頃までの逸話集には見られません。吉継が目を患っていたことは確かなようで、病が重篤化したと推定される文禄3年10月朔日付けの直江兼続宛の書状の追伸で、目の病のため、花押ではなく、印判を用いたことの断りを述べています。

スポンサーリンク

→真田信繁の正室・竹林院に松岡茉優!竹林院とはどのような人物なのか?

娘・竹林院は信繁の正室になる

大谷吉継の娘は、真田信繁の正室になった女性です。『真田丸』では、春という名前で登場し、女優の松岡茉優が演じます。信繁の元に嫁したのは、文禄3年(1594年)頃。竹林院という法名が伝わっています。

関ヶ原の戦いで、夫の信繁と舅の昌幸が敗れ、九度山に幽閉されると、付き従って九度山に入っています。九度山での貧しい生活を支えるため、上田地方の紬技術を応用した真田紐を考案。丈夫で伸びにくく、鎧兜を着用する際に、真田紐は重宝されました。竹林院は、真田紐を家臣に行商させ、家計を支えたと言われています。

信繁との間には、二男三女をもうけます。嫡男の幸昌、次男の大八、あくり、阿菖蒲、おかねです。信繁との夫婦仲はよく、信繁は大坂城に入るにあたり、形見の「来国俊の脇差し」を与えています。竹林院は、信繁に従って九度山を脱出する幸昌に、「自分たちの事は心配せず、父と生死を共にするように」と言って送り出したと言われています。

大坂の陣の後、落ち武者狩りをしていた紀伊藩主の家臣によって、5月20日に発見されます。来国俊の脇差しを持っていたことで、信繁の正室と分かったとされています。家康の許しを得て、娘・おかねの夫婦と共に京都で暮らします。1649年に没しています。

→真田信繁と黒田官兵衛はどちらが優秀な武将なのか?

 - 登場人物


スポンサーリンク



《注目記事》U-NEXTで真田丸全話見逃し配信!無料で動画を視聴するのはコチラ!

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事