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豊臣秀頼は誰の子なのか?祈祷によって授かったのか?


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子宝に恵まれなかった豊臣秀吉。正室の他に、側室は16人いたとされています。その中で、「秀吉の子」を産んだのは、淀殿だけ。秀吉の晩年に授かったというだけでなく、秀頼については、受胎日に夫婦が別々の場所にいたとも言われ、誰の子供なのかということが、早くから不審がられてきました。

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第一子の時に秀吉公認で行われた祈祷

淀殿は、秀吉の子を2回産んでいます。第一子は、鶴松。鶴松懐妊の前に、秀吉は祈祷を行っています。この祈祷には、今で言う体外受精の意味合いがあったと指摘されています。

秀吉は子宝に恵まれませんでした。秀吉の側室のうち、京極龍子は、秀吉の側室になる前に、結婚相手の男性の子供を3人産んでいます。また、秀吉が伊達政宗に与えた側室は、政宗の側室になると、2人の子供を産んでいます。秀吉以外の男性との間には、子供が出来た女性がいたわけです。

現在も、不妊の原因の半分は、男性側に問題があるとされています。そのようなケースで、家を維持していくために編み出された方法が、参籠でした。子宝に恵まれない夫婦が、神仏に願掛けをして夜通しお籠りするのです。読経三昧で宗教的な陶酔が頂点に達したところで、妻が法悦を体験し、子供が授かります。

大坂城の城内持仏堂が、第一子を淀殿が懐妊する前に参籠堂になったとされています。鶴松誕生に際して、秀吉は僧侶たちに黄金を与えたと言われています。しかし、鶴松は、夭折。秀吉は、実子を諦めて、養子を育てることにし、秀次に統治権を委譲します。

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→豊臣秀次の最後は?側室30人も道ずれの悲劇!?

秀吉不在時に行われた2回目の祈祷

朝鮮出兵のため、秀吉は九州に出かけました。秀吉不在のその時に、淀殿は、2回目の祈祷を行ったと見られています。今回は、秀吉の公認ではありませんでした。

若く健やかな淀殿は、再び懐妊します。秀吉は、祝意を伝える手紙を送りますが、その中には、自分の母乳で育てるようにとの一文がありました。当時の高貴な女性は、母乳で我が子を育てるようなことはあり得ず、乳母が育児の全てを行っていました。

文禄2年(1593年)8月3日、淀殿は、大坂城二の丸で男児を出産します。男児は、「拾」と名付けられました。後の秀頼です。第一子・鶴松誕生の際には、数え切れないほどの祝賀記事が残されていますが、拾誕生時には、そのような祝賀は記録されていません。しかし、秀吉は、産まれた子供を見に行きます。そして、始まったのが、拾の懐妊・出産時に大坂城にいた僧侶や女房たちの粛清でした。

まず、陰陽師が追放されました。陰陽師は、宗教的な陶酔を作り出すプロと見なされていました。この時、粛清された「無名法師」という陰陽師が秀頼の父なのではないかと、江戸時代には囁かれていたようです。淀殿と関係を持つ秀吉以外の男は、人格を持たないことが必須条件だったと言われています。人格があれば、豊臣家の将来に禍根を残すことになるからです。

続いて、女房たちの粛清が行われました。女房すべてではなく、淀殿の側近が次々と処分されました。懐妊の事情を知っている者が、粛清されたところで、秀吉は、拾を秀次の娘と婚約させることを決め、仲介人を前田利家夫婦とすることにします。側室の腹に出来た子供を受け入れる準備が整ったところで、秀吉は、養子・秀次との関係を変えていくことになります。

→本能寺の変の黒幕は豊臣秀吉というのは本当か?予想考案!

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