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真田丸!第一次上田合戦で信繁はどのように戦ったのか?


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第9回「駆引」で、兵糧攻めを提案した信繁。数に頼らず、敵の動きを読んだ戦略を立てる、知将としての将来を期待させる一コマが演じられました。実際には、この時期の信繁の動向は、明らかにされていません。武田家が滅びた後の真田は、つくべき大名を次々に変え、信繁は人質として大名の元を移動する生活を送っていたからです。しかし、2016年の大河ドラマ『真田丸』では、信繁は、第一次上田合戦で、父や兄とともに戦うことになっています。

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第一次上田合戦とは?

『真田丸』の第9回でも描かれた沼田領安堵に端を発する、真田と徳川との戦いが、第一次上田合戦です。

北条の南下を受け、焦った徳川家康は、家臣の進言を受けて、真田昌幸に加勢を求めます。加勢をする代わりに、真田が要求した条件の一つに、上野の沼田領を真田のものと認めることがありました。家康は承諾し、真田は、徳川軍に加勢します。真田の加勢によって劣勢に立たされた北条氏政は、即座に徳川家康に和睦を申し入れます。家康は、速やかに申し出に応じ、北条と徳川は、和睦します。その条件の一つが、北条氏への沼田領譲渡でした。

家康は、甲府から昌幸に使者を送り、沼田領を北条氏に譲渡するように命じます。しかし、昌幸は、拒絶します。「沼田は、家康から与えられたものではなく、我らが手柄によって取ったものである」として、家康と決別します。そして、再び、上杉に従う意向を固めます。その臣従の証として景勝のもとに送られた人質が、信繁でした。

天正13年7月、真田の臣従が認められます。第一次上田合戦が起こったのは、潤8月のことでした。迫り来る徳川の軍勢は、7000人。率いていたのは、鳥居元忠、大久保忠世。家康は、真田に面目を潰されたと怒り、「根切り肝心」と命じていたと言います。根切りとは、全員の命を取る事です。

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少数ながらも地の利を生かした戦いで徳川軍を退ける

7000人の徳川軍に対する真田軍は、農民兵を含めてわずか2000人。昌幸の臣従を認めた上田景勝は、援軍を寄越したとされますが、『真田丸』では、子供と年寄りの寄せ集めだったことが描かれます。

昌幸は、上田城に本陣を構え、近くの砥石城に嫡男の信幸、矢沢城に矢沢頼康を配し、農民兵を山に伏兵させました。『真田丸』では、信繁に心を許した景勝が、いったん人質を免じて、上田合戦に加わることを許したことになっています。

真田家に伝わる『真田軍記』によると、おとりの兵に押されているふりをさせ、二の丸へと誘い込み、徳川の大軍が渋滞して動きが悪くなったところで、用意していた巨木や大石を落下させ、鉄砲の一斉射撃を加えたとされています。おとりの兵を率いて、徳川の兵を城内に誘い込んだのが、『真田丸』では信繁ということになっています。

身動きが取れなくなったところに加えられた一斉攻撃に、徳川軍は慌てて退却を始めます。しかし、兵が多いため、後続部隊は城内に侵入しようとして、混乱に拍車がかかります。ようやく城外に脱出した徳川軍を待っていたのは、炎に包まれた城下町。真田軍が火を放ったのです。火の手に驚いた徳川軍に、信幸の手勢と農民兵が襲いかかります。逃げる徳川軍が向かうのは、近くを流れる神川。しかし、川の上流では、真田が堰を切っていました。増水した川に、徳川の兵たちは溺れ、多数の溺死者が出ました。

この戦いでの徳川軍の死者は、1300人以上。真田軍の死者は、40人ほどとされています。この戦いに加わっていた徳川方の大久保彦左衛門は、『三河物語』の中で「ことごとく腰が抜け果て、震えて返事もできず、下戸に酒を強いたるがごとし」と記しています。

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