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小早川秀秋の死因は呪いなのか?子孫は存在するのか?


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天下分け目の関ヶ原の戦い。徳川方が勝利しました。その勝利に大きく貢献したとされるのが、小早川秀秋の裏切り。豊臣家の継承権保持者と見られたこともある秀秋は、小早川隆景の養子となった後も、豊臣方に参陣していました。しかし、黒田長政らの調略によって、戦いの半ばから豊臣方を離反します。秀秋の離反によって、何名もの離反者が出て、大勢は決し、徳川方が勝利します。しかし、秀秋にとっては、手放しで喜べる状況ではありませんでした。

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関ヶ原の戦いの2年後の早逝

関ヶ原の戦いの後の論功行賞で、秀秋は、加増されます。旧宇喜多秀家の領地である岡山藩55万石を与えられます。移封された秀秋は、側近を拡充しますが、その結果、新旧家臣の間で軋轢が生じます。

関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601年)には、長年家老を勤めてきた重臣・稲葉正成が出奔。小早川家の内部は、落ち着かない状況になります。この時、秀秋は弱冠20歳。もともと文化人的な素養があった秀秋にとって、新しい領地を治めたり、家臣たちを統率することは、気苦労の多いものだったと考えられます。

秀秋は、次第に精神の均衡を崩すようになります。慶長7年(1602年)夭折。享年、21歳でした。関ヶ原の戦いで徳川方に寝返った武将は、秀秋以外にも、不運が続きました。小川祐忠は、関ヶ原の戦いの翌年に命を落とします。赤座直保は所領を没収され、前田家に仕官しますが、河川の氾濫に巻き込まれて命を落とします。

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→浅利陽介演じる小早川秀秋!関ヶ原の戦いで裏切りを行った3つの理由

囁かれる大谷吉継の呪い

戦場で徳川方に寝返った武将たちが、いずれも関ヶ原の戦いの後、短い間に亡くなっている事から、世間では、豊臣方の重臣・大谷吉継の呪いではないかと噂されるようになりました。

関ヶ原の戦いで、秀秋は、松尾山に布陣し、午前中、傍観します。徳川家康から催促され、松尾山を下り、大谷吉継の陣に攻めかかりました。大谷勢はよく戦いましたが、最終的に吉継は自害します。その時、小早川秀秋の陣に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と言って切腹したとされています。

秀秋が亡くなったのも、徳川方に寝返った武将が命を落としたのも、関ヶ原の戦いの1~2年後だったことから、話は信ぴょう性を帯びて広がり、錦絵のテーマにもなります。

秀秋が亡くなった原因については、病歴を調べ、総合的に判断した結果、アルコール依存症による内臓疾患が原因だったとされています。秀秋は、酒を覚えた頃から深酒をして、養母の高台院を悩ませていたと言われています。秀秋と親交が深かった公卿の近衛信尹も、秀秋が少年期から過度に飲酒をしていたことを記しています。

→豊臣秀吉の家紋にある都市伝説とは?300年越しの報復⁉︎

改易処分になった小早川家

小早川秀秋は、21歳の若さで没します。秀秋が亡くなった後、小早川家は、後継がいないとの理由で、改易処分になります。豊臣秀吉の五大老まで務めた小早川家は、歴史の表舞台から姿を消します。

明治時代になって、毛利本家からの願い出により、小早川氏には再興の勅命が下ります。毛利本家の次男を養子に迎え、小早川家は再興します。再興された小早川家は男爵の爵位を授けられます。

現在、モータージャーナリストとして活躍している小早川隆治氏は、再興された小早川家の子孫です。

→徳川家康の影武者説の信憑性は?語り継がれる2つの理由!

 - 登場人物


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