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豊臣秀吉の家紋にある都市伝説とは?300年越しの報復⁉︎


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大河ドラマ『真田丸』。少年から青年へと変化しつつある信繁が、描かれるようになりました。そうした信繁が天下人と思いがけない形で出会うことになるのが、第14回「大坂」です。この時、秀吉は、すでに天下人。関白として威厳を示すために、諸大名を招集します。この時、秀吉が使っている家紋に注目してみましょう。実は奥深い家紋。秀吉の家紋にまつわる興味深い話をまとめてみました。

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木下藤吉郎時代はねねの実家の紋を使用していた?

家紋とは、苗字に代わってその家を特定する役割を持つ印です。家紋は、一部の貴族や武士が使用するだけでなく、庶民も使っていました。

ただし、後の豊臣秀吉は、出自がはっきりせず、木下藤吉郎と名乗っていた頃には、妻となったねねの実家の紋を使わせてもらっていた可能性があるとされています。木下藤吉郎と名乗っていた頃に使っていた家紋は、立ち沢瀉の紋。沢瀉は、別名を勝ち草というため、縁起が良いとして武家の間で好んで用いられていた紋でした。藤吉郎の妻となったねねの実家・杉原家の紋が立ち沢瀉の紋だったため、藤吉郎は、妻の実家の紋を使わせてもらっていた可能性があるとされています。

その後、藤吉郎は頭角を現し、信長亡き後は、ついに天下人となります。天正年間に「豊臣」の姓を創設すると、時の天皇・後陽成天皇から正式に五七桐を下賜されます。三枚の桐の葉と茎に複数の花がついた家紋です。

天皇家の紋章は、十六八重表菊紋などの菊花紋が有名ですが、桐紋も替え紋として使われてきた歴史があります。替え紋とは、非公式に使う紋のことです。たとえば、ある家に嫁いだ女性が、嫁ぎ先の家紋ではなく、実家の家紋を替え紋として使うことがあります。

天皇家では、替え紋として使用していた桐紋を、時の権力者に与えることで、権威を保つということをしてきました。桐紋を武家の権力者に与える政策をとったことで有名なのは、鎌倉時代の後醍醐天皇です。後醍醐天皇は、建武の中興の恩賞として足利尊氏に桐紋を下賜しました。この時、足利尊氏は、五七桐を賜っています。

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→真田信繁が豊臣秀吉の人質となった経緯と秀吉のもとでの生活は?

徳川幕府を倒した新政府が使用したのは桐紋

豊臣秀吉が後陽成天皇から賜った五七桐の家紋。その五七桐を正式に使い出したのが、明治政府です。明治政府の流れをくむ現在の日本政府も、実はいろいろなところに五七桐を使っています。最も身近なのが、500円硬貨の裏。桐紋が使われています。

明治政府が桐紋を使うようになった経緯については、都市伝説があります。明治政府の中核となったのは、長州と薩摩。長州の有力な家は、毛利。薩摩の有力な家は、島津。いずれも、関ヶ原の戦いで豊臣方に加勢して、徳川軍に敗れた家です。両家は、有力大名にもかかわらず、関ヶ原の戦いで豊臣方についたことで外様として遠隔の地に流されました。

外様大名には経済的な負担を強いて勢力を伸ばさせまいとしたのが、徳川幕府です。そのため、倒幕を果たした長州と薩摩は、新政府樹立のあかつき、豊臣秀吉の家紋を使用することにしたというのが、桐紋にまつわる都市伝説です。

→徳川家康の影武者説の信憑性は?語り継がれる2つの理由!

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