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徳川家康の本当の死因は?現在家康の子孫はどうしているのか?


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真田家の前に大きく立ちふさがった徳川家康。大河ドラマでは第9回「駆引」から、真田家と深く関わってきます。信濃・上野を徳川と北条で分け合う話し合いが進むことで、昌幸は立場をなくし、愕然とします。その後、真田家の運命に大きく関わることになる徳川家康。征夷大将軍として徳川幕府を作った天下人ですが、その死因は、さまざまな説がささやかれています。死因にはどのような説があるのでしょうか?また、その子孫は、現在、どのような生活を送っているのでしょうか?

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消化器系に問題があった?3つの死因

徳川家康ほどの有名人になれば、死因ははっきりしていると思いがちですが、意外にも3つの説があります。興味深いのは、食べ物が関係している説が2つあるということです。

大河ドラマでは、内野聖陽が演じています。衣装合わせの時に、シルエットがあまりに細くて、家康に見えないと思って10kg増量したとか。その甲斐あって、登場するたびに真田家にとって、疎ましい存在感が出ています。第5回「窮地」では伊賀越えの最中に、半蔵が手配した握り飯を家臣と頬張るお茶目なシーンも。旺盛な食欲を感じさせるシーンでした。

大河ドラマに描かれる家康に影響したと考えられるのが、死因に挙げられる食べ物説。食べ物が関係する説が、2つあります。一つは、よく知られる天ぷら。ただし、天ぷらを好物とし、天ぷらを食べて命を落とした家康は、実は、家康の影武者だったとする俗説があります。この説によると、家康は、関ヶ原の戦いで致命傷を負ってすでに他界しており、その後は影武者が代役を務めたとのこと。その影武者に用がなくなったため、好物の天ぷらに毒を仕込んで命を落としたとする俗説があります。

もう一つの食べ物説が、鯛の南蛮漬け。1616年1月21日、鷹狩りに出かけた徳川家康は、体調を崩して倒れます。すでに70歳を越える高齢だったため、鷹狩りで倒れた家康は、そのまま、安静を保つようにします。そこに見舞いに来たのが、茶屋家の3代目。見舞いに持参した鯛の南蛮漬けが家康の気に入り、家康は何匹も食べたとされます。その後、腹痛が酷くなって、4月17日に他界したと言われています。ただし、鯛の南蛮漬けを食べてから亡くなるまでに3ヶ月ほど間があるため、この説の信ぴょう性は高くないとされています。

現在、通説になりつつあるのが、胃がん説。鷹狩りの最中に倒れた家康は、主治医の診察を受けた際に、自分にはサナダ虫がいると訴えたそうです。徳川の公文書には、家康は痩せ方が激しく、吐血を繰り返し、腹には大きなしこりができていたとされています。そのため、現在では、胃がんによって、このような症状が現れたのだろうと見られています。胃がん説が、現在では、通説になりつつあります。

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家康の子孫はどうしているのか?

死因には3つの説がありますが、家康は、死の直前に立ち上がり、刀を振り回して、「この刀で末代まで子孫を守る」と言い残したと言われています。その後、260年あまり。最後の将軍と呼ばれる徳川慶喜が退位した後、徳川家はどうなったのでしょうか?

16代目の徳川家達は、明治政府から70万石の領地を与えられています。その領地を使って、静岡藩を設立。廃藩置県が実施された後は、再び東京に戻って公爵に列せられています。家達とその子の17代家正は、貴族院議長を勤めています。

その後の18代目の徳川恒孝氏が現在の当主。徳川記念財団を設立しています。次期当主とされるのが、恒孝氏の子供・家広氏です。1965年生まれ。慶應義塾大学を卒業後、ミシガン大学で経済学修士号を取得。その後、コロンビア大学大学院政治学研究科を修了し、政治学修士号を取得。2006年に両親の反対を押し切って11歳年下のベトナム人女性と結婚しています。現在は、翻訳や著述活動を行っています。

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 - 子孫, 歴史, 登場人物


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