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真田信繁と石田三成は親戚だった⁉︎山手殿の出自に謎!


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大河ドラマ『真田丸』では、第14回「大阪」で登場する石田三成。信繁への態度は冷たく傲岸で、信繁は不快感を抱くという形で2人の顔合わせは描かれます。しかし、真田家と石田家には深い関係があったという説もあります。親戚だったという説です。どういうことなのでしょうか?

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出自に謎が多い山手殿

石田家と真田家には、姻族関係があります。昌幸の娘・於菊が、石田三成の妻の従兄弟・宇多頼次に嫁いでいます。しかし、それ以前にも、真田家と石田家には深いつながりがあったとする説があります。昌幸の正室・山手殿との関わりです。

山手殿は、大河ドラマでは常に女性の中で1人だけ十二単を着用し、真田家の中で、微妙な立ち位置にいます。第11回「祝言」では、信繁の妻は自分の出身である京都から迎えたかったと立腹。香を焚き染めて母をいい気分にさせようとした信繁の小細工に憤慨します。実在の山手殿も、真田家の資料では「京の御前さま」と記されています。

出自に様々な説があるのも、山手殿の特徴です。大河ドラマがよっているのは、おそらくは、公家の精華家菊亭晴季の娘という説でしょう。ただし、当時の真田昌幸の身分は、武田信玄の下級家臣です。

昌幸が山手殿を正室に迎えたのは、子供の年齢を考えると、おそらく永禄7年(1564年)頃のこととされています。永禄9年(1566年)に嫡男の信幸が誕生していますが、信幸の上に長女・村松殿がいるからです。結婚を永禄7年頃とすると、当時、昌幸は武藤喜兵衛を名乗っていました。将来を嘱望されて武藤姓を名乗るように取り計らわれたとはいえ、上級公家である菊亭家の娘を妻に迎えるとは、客観的には考えにくいという説もあります。昌幸の主君・武田信玄の正室の実家・三条家とほぼ同格なのが、菊亭家だからです。

そのため、山手殿の出自を菊亭家とするのは、後世の格付けを意識したものとする説があります。また、菊亭晴季の娘というのが事実としても、晴季の生年から実娘とは考えにくいとする説があります。

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→真田信繁の母・薫のモデル山手殿は謎多き女だった?

山手殿は宇多頼忠の娘とする説がある

菊亭晴季の娘とする説以外で有力なのは、山手殿を宇多頼忠の娘とする説です。これは、石田家の系図である『石田氏系図』に見られます。宇多頼忠の別の娘が石田三成の正室になっており、昌幸の正室になった山手殿は石田三成に嫁いだ女性の姉とする説もあります。

ただし、昌幸が石田三成に関ヶ原の戦いで協力したことから、その関係の深さを強調しようとして誤記が生じたとの説もあります。逆に菊亭家の娘とする説は、徳川幕府のもとで悪人とされた石田三成との縁戚関係を隠そうとしたものとの説もあります。

山手殿と石田三成との歴史上の接点は、慶長5年(1600年)8月、関ヶ原の戦いの直前のことです。当時、山手殿は大阪にいたため、石田三成の人質になり、大阪城に拘留されました。河原綱家の機転によって逃れて上田に帰還したとされています。ただし、人質といっても形式上のことで、慶長5年8月6日付で三成が昌幸に出した書状には、「御内儀も大坂へ入り候。何事もなく候。宇多河内父子も当城留守居として今日当地へ参り候」とあります。

→真田丸のヒロインが正室ではなくて側室のきりである3つの理由

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