大河ドラマネタバレ考案速報

大河ドラマのネタバレ感想サイト!

*

真田信幸の正室・小松姫とはどんな女性だったのか?子供や子孫は?


《注目記事》U-NEXTで真田丸が無料で見逃し配信中!

   

スポンサーリンク


真田家の嫡男として、信幸は、大河ドラマではすでに妻のこうを娶っています。病弱で、「信幸様は真田家の御嫡男。どうぞご存分の働きを。」と挨拶するのがお約束になっているこう。しかし、後に信幸は、正室に小松姫という女性を娶っています。ドラマでは、第10回「妙手」で未来の舅に対面する信幸。小松姫とは、どのような女性だったのでしょうか?

sanadamaru

真田の軍略に惚れ込んだ本多忠勝が娘を縁付かせることにする

上田合戦で、数に勝る徳川の軍勢をわずかな手勢で退けたことで、昌幸の武名は轟きました。また、信幸も将来を嘱望されるようになります。

上田合戦の後、豊臣秀吉の仲介により、真田氏は徳川家康とも和睦し、真田家は、徳川家康の与力大名になります。真田家を徳川家に取り込もうと、本多忠勝は、娘の小松姫を真田家に嫁がせることを提案します。徳川家康も、上田合戦の後に対面した真田信幸の器量に感じ入り、家臣に取り込んでおきたいとの思いがあったことから、話は順調に進み、小松姫を徳川家康の養女としてから、真田家に嫁がせることにします。

ただし、小松姫が嫁ぐ前に養女になったのは、徳川秀忠だったとする説もあります。小松姫と真田信幸の孫にあたる松代藩3代藩主・真田幸道が江戸幕府に提出した書状には、小松姫は徳川秀忠の養女と記されています。

徳川家康は、駿府城に信幸を出仕させて小松姫を娶らせています。婚礼があった年は、1586年、1589年、1590年と3つの説があります。最も有力なのが、1589年で、この時、小松姫は17歳、信幸は24歳。婚礼の日に並んだ夫婦はよく似合っており、周囲も羨むほどだったと言われています。

信幸の父・昌幸は徳川家康が大嫌いで、婚礼の前は小松姫のことも快く思っていませんでしたが、信幸の「徳川と縁を持つのは、悪いことではありません。」との言葉に押されて承諾したと言います。小松姫は、容姿端麗で、気性は武士の妻として申し分がなく、昌幸は「信幸には過ぎた嫁じゃ」と喜んだと言います。

スポンサーリンク

→真田丸で信繁を演じている堺雅人の演技力や評判は?

犬伏の別れの後に舅の入城を拒んだ烈婦

小松姫と信幸の間には二男二女が授かりました。三男の信重の誕生は、1599年。翌1600年7月21日には、昌幸のもとに石田三成からの密使が届きます。昌幸は、信幸、信繁と真田家の今後を話し合いました。昌幸と信繁は三成に加勢し、信幸は本多忠勝の娘を正室に迎え、自身も一時徳川家に出仕していることから、徳川勢として小山に進むことにします。

昌幸と信繁は、7月25日夜半に沼田城に使者を出し、入城を申し入れましたが、小松姫は自ら武装して出迎え、「たとえ義父といえども、今は敵味方の間柄。主人の留守を預かる者として、城の中には入れられませぬ。」と入城を拒否したと言います。昌幸は、あわよくば、沼田城を占拠しようとの考えもありましたが、「さすがは本多忠勝の娘。武士の妻女たる者、ああでなくてはならぬ。」と言って、近くの正覚寺で一泊したと言います。翌日、小松姫は、子供を連れて昌幸を訪ね、祖父と孫との対面を果たさせたとされています。

関ヶ原の戦いで敗れた昌幸と信繁の助命に際しては、小松姫の実父・本多忠勝の働きもあったと言われています。義父と義弟が九度山での蟄居生活を送るにあたり、小松姫は自費で仕送りをする一方、真田家の倹約に努め、献身的に夫を支えたと言います。

小松姫は、1625年頃から体調を崩し、1626年2月24日病没。夫の信幸は、「我が家から光が消えた」と大いに嘆いたと言われています。戒名は、大蓮院殿英誉皓月大禅定尼。墓は、勝願寺、正覚寺、芳泉寺に分骨されています。

→真田丸で真田信尹を演じる栗原英雄とは?信尹とはどんな人物だったのか?

 - 子孫, 登場人物


スポンサーリンク



《注目記事》U-NEXTで真田丸全話見逃し配信!無料で動画を視聴するのはコチラ!

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事