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真田丸!真田十勇士のモデルになった真田忍者とは?


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真田幸村というと、忍者集団を引き連れて活躍する十文字槍の使い手という印象があります。存在が知られにくかった戦国時代の忍者たち。真田家は、忍者たちを大切にし、下級武士として召し抱えたとされています。そのため、後世に名を残した忍者も多く、真田忍者と称されています。どのような人がいたのでしょうか?

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真田丸にも登場して昌幸の家臣となる出浦昌相

寺島進が演じる出浦昌相。第6回「迷走」で行きあった信繁に素っ破の歩む道を語り、第11回「祝言」では昌幸の命を奪おうとする室賀を返り討ちにします。出羽清種の次男とされます。武田信玄に仕え、信玄亡き後は、信長の配下であった森長可に仕えています。信長が本能寺の変に倒れ、森長可が信濃を撤退するに当たっては、猿ヶ馬場峠まで見送り、形見の脇差を貰っています。

1583年からは真田昌幸に仕え、小県郡武石村に30貫文を領し、吾妻奉行を拝命し、一時、岩櫃城主にもなっています。吾妻の忍び衆を統率し、小田原攻めが行なわれた1590年6月の忍城攻めでも奮戦したとされています。真田信幸にも仕え、松代では、武者奉行も務めています。

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→真田信繁の娘お梅のその後はどうなったのか?意外な結末とは?

その他の真田忍者は?

真田の里は、信濃修験道の聖地である四阿山を背後に控え、古くから山伏との関係があり、真田幸隆の代から、忍者を採用していたとされます。真田幸隆の代から昌幸にかけて真田家に仕えた甲陽流忍者の家元が、禰津信政です。通称は神平(しんぺい)。禰津家は、もともと鷹匠の家です。のちに女忍者集団「禰津流くノ一」を多数輩出しています。

出浦昌相の父・出羽清種と共に、真田忍者集団の頭領の双璧と称されたのが、横谷幸重。通称は左近です。雁ヶ沢城を本拠とする豪族でしたが、昌幸の代から真田家に仕えています。昌幸が参加したほぼすべての合戦にその名が見受けられます。昌幸の後には信幸にも仕えています。

「吾妻七騎」の1人に数えられる勇猛な忍びの達人が、割田重勝です。吾妻横尾村を知行した割田与兵衛の子で、武田家の時代に沼田城攻めで小荷駄奉行としても名が見られます。1585年に北条家が昌幸の沼田城を攻めた際には、敵将の松田憲秀から名馬を奪った逸話が残されています。

猿飛佐助のモデルとなった可能性が指摘されているのが、二代目唐沢玄蕃です。助走なしで1.8mも飛び上がり、12mの高さから飛び降りても音を立てずに着地したと言われています。また、火薬術にも長じていたとされています。真田昌幸に仕えると、出浦昌相の配下となり、数々の戦に参戦し、信濃の尻高城では、夜陰に紛れて偵察を行なった際、見事な金の馬鎧をつけた馬を盗み出したという逸話が残っています。同じ忍びである割田重勝の娘を妻に迎えています。

→真田信繁と上杉景勝の関係は?信繁の出仕を景勝はどのように迎えたのか?

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