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真田信繁の娘お梅のその後はどうなったのか?意外な結末とは?


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大坂夏の陣で決戦を前にした信繁。「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。」とつぶやいたとされています。人生の最後の輝きを決戦に見出した武将としての生き方。しかし、父としては、穏やかではいられませんでした。決戦を前にして、父としての信繁は、子供たちのことを考え、ある人物にわが子を託したとされています。

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子供を託したのは伊達家の猛将片倉重長

信繁は、大阪城に入る際に、4人の子供を同行させていたとされています。父の信繁と行動を共にしたのは、14歳になる大助、12歳の阿梅、8歳の阿菖蒲、4歳の大八だったと言われています。

信繁は、決戦の前夜、阿梅、阿菖蒲、おかね、大八、それに穴山小助の娘を引き取ってほしいと、伊達家の家臣に宛てて書状を認めています。信繁の書状を持って、家臣の菅沼覚左衛門と永沼弥右衛門が向かったのは、片倉重長の陣所でした。

片倉重長は、豊臣方の将、後藤又兵衛を討ち取った猛将です。病床にあった父に代わって伊達政宗に従って参陣。敵将を討ち取ったことで、「鬼の小十郎」と称されました。美貌の持ち主でもあり、主君の伊達政宗とは衆道関係にあったという説もあります。武人としての誉れが高いことから、信繁が矢文を送って、阿梅との婚姻を申し込んだとする説もあります。

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17歳で阿梅は片倉重長の継室になる

信繁が大阪の陣で最期を迎えた時、阿梅は12歳。当時の感覚で言うと、少女から大人への移行期と言える年齢でした。片倉重長に託された阿梅は、女籠に乗って、堂々と大阪城を出ると、そのまま片倉重長の陣に向かったとも言われています。その説では、8歳の阿菖蒲は、粗末な籠に乗って、怪我人を装って城外に出、その後、信繁の家臣に伴われて片倉重長の陣に行ったとされています。

大八は、西村孫之進と我妻佐渡守に守られ、大阪城を脱出したと言われています。伊達政宗の軍勢は、大阪城が陥落した後、7月23日まで京都に駐屯。この間に信繁の旧臣・西村孫之進と我妻佐渡守が大八、阿菖蒲、おかね、穴山小助の娘を片倉重長のもとに送り届けています。信繁の遺児たちは、伊達政宗の軍勢に守られて京都を出発すると、江戸の伊達藩邸を経て、9月5日に片倉重長の白石城に移りました。

阿梅は、最初、侍女として仕えました。片倉重長の正室・指月院が妹のように可愛がり、継室となるよう頼んで亡くなったとされ、1620年に片倉重長の継室になっています。この時、阿梅17歳、片倉重長37歳でした。大八は、夫となった片倉重長からの養育を受けて元服し、片倉守信と名乗っています。阿梅は、1681年に78歳で他界。法号は泰陽院殿松源寿清大姉。当信寺の本堂裏に大八と並んで眠っています。

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