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真田信繁の父・昌幸とはどのような人物だったのか?最後は?


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大河ドラマ『真田丸』では草刈正雄が演じている真田昌幸。信繁の父です。第1回から草刈正雄の好演が話題になり、注目を集めている人物です。どのような人だったのでしょうか?

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武田信玄のもとで頭角を現す

信繁の父・昌幸は、幼少時代に武田信玄に人質出仕しています。信玄は、昌幸に「耳聞」という英才教育を施します。「耳聞」とは、人物を評価することです。信玄は、昌幸に、仕官を望む浪人の人柄や器量を見極めて報告させました。耳聞によって、昌幸は、人を見る目と状況を把握する洞察力を養ったと言われています。

初陣は、15歳の時。昌幸は、信玄のもとで頭角を現していき、他国者ながら、信玄の母方の名跡を継ぎ、「武藤喜兵衛尉昌幸」と名乗ります。第4回「挑戦」で徳川家康が昌幸のことを「武藤喜兵衛殿」と呼んでいたのは、このためです。

→真田信繁は兄の信幸や姉の村松殿との仲はどうだったのか?

真田の頭領として生き残りのための戦略を展開した知将

少年時代から20年間に及んで仕えた信玄が病没すると、武田家は、急速に衰退していきます。信玄の跡を継いだ勝頼は、長篠の戦いに大敗。この戦いで真田家の当主の信綱と次兄の昌輝が討死。昌幸は、急遽、復姓して真田家を継ぐことになります。

真田家の頭領となった昌幸が、最も力を注いだのは、生き残ることでした。討死した兄たち。信玄のもとで経験した数々の戦によって、滅亡した城主や討死した兵たちの無残な姿を数多見てきた昌幸は、第一に生きる手段を模索し、数少ない兵力で効率よく戦うために謀略を巡らしました。そうした謀は成功し、昌幸は知将と言われるようになります。

信玄亡き後、次々と就くべき大名を変えます。まずは、織田信長。信長が本能寺の変で横死した後は、小県郡争奪に押し寄せる上杉景勝や北条氏直に従い、帰属します。その後、弟の信尹に説得され、徳川家康の味方をし、自ら確保した沼田領・吾妻領・小県郡の所領を安堵されます。

昌幸は、家康の思惑を利用して、城地を提供し、家康の力をもって上田城の築城に及びます。しかし、上田城の完成が近づいた頃、家康から沼田領譲渡を命じられます。敵対していた北条との和睦が成立したためでした。昌幸は、「家康から与えられたものではなく、我らが手柄によって取った沼田である」と突っぱね、家康と決別します。かくして第一次上田合戦が始まります。

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→真田信繁と幸村の違いは×××だった!なぜ幸村なのか?

徳川家康との戦いに敗れて九度山で果てる

第一次上田合戦で徳川軍は敗退。その後、昌幸は豊臣秀吉に帰属します。しかし、秀吉が家康と和睦したことで、状況は変化。家康が真田攻めを計画し、秀吉は黙認します。その時、秀吉は、上杉景勝に書状を送り、「真田は表裏比興の者だから、成敗を加える」として、景勝に昌幸への支援を禁じています。

ところが、その直後、状況は急変します。秀吉は、昌幸を大阪城で謁見し、正式に臣従を認めています。そして、昌幸は、家康への出仕を命じられ、豊臣政権下の家康に属する独立大名として歩みだすことになります。昌幸、41歳の時のことです。

その後、関ヶ原の戦いでは、昌幸は次男の信繁とともに豊臣方に味方します。ただし、家康本隊と戦うことは避け、上田で秀忠と戦うにとどめています。

戦いの後、家康側に味方した嫡男の信幸の嘆願もあって、高野山への流罪になります。昌幸は、信繁と16名の旧臣を連れ、高野山に入り、後に九度山村に移り住みます。そこでの生活は、11年。不遇をかこちながら、失意の中で老いを重ね、慶長16年6月4日、「三年を過ぎずに関東と大坂が合戦に及ぶ」と信繁に遺言して没します。享年65歳。

→真田信繁の子孫の現在は?著名人にも末裔がいるって本当?

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